英雄

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《神様の唇に引かれた口紅のように、掌では拭いきれないほどの夜がやってくる。ディオンガのおなかの底は白くなった。雪のようにつめたい火の棘のついた茎が血管に絡みつきながら目の奥まで届き、ディオンガの視界の隅で、薔薇となって炸裂する。もう、オレンジの皮よりもずっと薄い壁の向こうで、父親と母親がささやき交わす声は聞こえない。乾いた唇を舌で舐めると――しかしこの言い方は、あたかも舌以外の器官でも舐めるという営為が可能であるかのようではないだろうか――、ディオンガは粗末なベッドから身を起こし、色の褪せた敷物のうえに足をおろす。むしろ汗ばむほどなのに、ディオンガはその身体を二、三度震わせた。はずみで、もうこれ以上の洗濯は断固として拒絶すると言いたげによれよれの黄色いTシャツ――しかし、ディオンガの住んでいる国では、もうずいぶんと長いこと、ほとんどありとある物資が不足していた――が、ふいにまくれあがっていたことを恥じ入るかのように、ディオンガの臍を隠す。》(本文より)

第3回ことばと新人賞二次選考通過作「英雄」を収録。

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